2023年後期の朝ドラ『ブギウギ』のヒロインが女優の趣里さんに決定し話題を呼んでいますね。
趣里さんは俳優の水谷豊さんと元キャンディーズの伊藤蘭さんの娘。女優として数々の受賞歴を持っている女優さんで、この発表を聞いて『ブギウギ』への期待感が高まった方もいるのではないでしょうか。
『ブギウギ』の放送期間、あらすじや趣里さんについてはこちら▶
そんな来秋放送予定の『ブギウギ』は、戦後の大スターと言われる「笠置シヅ子」さんがモデルの物語。
今日は『ブギウギ』の物語のモデルとなった「笠置シヅ子」さんはどんな方なのか?や脚本家の情報など、気になる事を調べてみたいと思います。是非最後までお付き合いください♪
ブギウギの物語モデルとなる「笠置シヅ子」さんはどんな人?
笠置シヅ子さんのプロフィール
本名 | 亀井静子 |
生年月日 | 1914年(大正3年)8月25日 |
出身地 | 香川県大川郡相生村(旧:引田町・現:東かがわ市) |
没日 | 1985年3月30日(70歳没) |
活動ジャンル | 歌謡曲 |
活動期間 | 1927年 – 1985年 |
大正から昭和にかけて、激動の時代を歌手・女優として駆け抜けた笠置シヅ子さん。
敗戦後という事もあり先の見えなかった日本人の心を、明るい歌で照らし「ブギの女王」と呼ばれたといいます。来歴についても詳しく見ていきましょう。
※笠置シヅ子さんの生涯に起こる出来事について触れるため、ドラマのネタバレになる可能性があります。気になる方はご注意くださいね。
笠置シヅ子さんの来歴
歌手としてデビューするまで
昭和2年に宝塚音楽歌劇学校を受験、申し分ない実力をもちながら不合格となります。理由は当時のシヅ子さんが極度の痩せ型であったため、過酷な宝塚生活に耐えられないのではとの学校側の判断だったそうです。
後から知れば悔しい不合格理由なのではないかと思いますが、学校側も続けられないであろうと判断した受験生を入学させることは出来なかったのですね。
しかし同年「松竹楽劇部生徒養成所」を受験し合格、娘役・三笠静子の芸名で初舞台を踏みます。
その後、1933年(昭和8年)、『秋のおどり・女鳴神』の演技でスターの仲間入りを果たし、1934年(昭和9年)、日本コロムビアより「恋のステップ」でレコードデビューしました。
歌手としての歩み
1938年「松竹樂劇団」に参加し服部良一氏と出会ったシヅ子さんは、のちに服部氏と組んでジャズ歌手として売り出します。
しかし「贅沢は敵だ」をスローガンとしていた時代、派手な化粧と身振りが警察から睨まれることとなり、昭和14年、丸の内の劇場への出演を禁じられる事に。
このように芸能活動が厳しく制限されていたこの時代の背景や空気感は今では想像し難いものですが、シヅ子さんのような自由な歌手の活動が礎となり今日があるのでしょうね。
その後映画に出演したり、楽団を結成して慰問活動などを行ったりと言った活動、新曲のリリースも行いましたが、激しく歌い踊るシヅ子さんのステージスタイルは当局の目にとなるところとなり、苦しい状況が続いたようです。
昭和22年に服部良一氏が作曲し発売した「東京ブギウギ」が大ヒット。『買物ブギ』など一連のブギものをヒットさせ、“ブギの女王”と呼ばれましたが、昭和30年に録音、翌31年1月に発売した「たよりにしてまっせ」を最後に歌手を引退されました。
現在も身近なものとしてはCMソングとしてカバーされており、聞いたことがあるという方は多いのではないでしょうか。
引退までの間にNHK紅白歌合戦に4回出場、ヒット曲となった「東京ブギウギ」は現在に至るまでカバーされ続け、日本のポップスに多大な影響を与えています。
その後は芸名を笠置シヅ子と改め、晩年まで芝居やテレビドラマなどで活躍されました。
未亡人となり、乳飲み子を抱えながらの活動
笠置シヅ子さんは、9歳年下の吉本穎右(吉本興業の創業者・吉本せいの子)と知り合い交際に発展・妊娠にいたるも、吉本せいさんはシヅ子を気に入らず断固として結婚を認めなかったそうです。そのうえ病弱であった穎右氏は結核により23歳の若さで病没されています。
シヅ子さんは穎右氏の死後数日後に女の子を出産。
出産のために入院していた病院で訃報を受けた笠置さんは、全身がガタガタ震え、お腹の子の鼓動まで止まるのではないかと思ったと日記につづっており、
絶望の淵で初産に臨むことになった笠置さんは、6月1日、穎右さんの浴衣を握りしめながら無事に女児を出産されます。命の誕生は当然祝うべきものですが、愛する人を喪った直後のことだと思うと想像を絶するものがありますね。
出産後一旦は引退を考えたものの周囲の励ましもあり、歌手生活の続行を決意。乳飲み子を抱えて舞台を努める姿は、当時「夜の女」「パンパン」と呼ばれた、生活のために止むを得ず売春を行う女性たちに深い共感を与え、シヅ子の後援会はほとんどがそうした女性たちによって固められていたそうです。
笠置シズ子さんの娘の現在は?
笠置シヅ子さんの娘さんは一般人であり、名前をエイ子さんというそうです。
このお名前は吉本穎右さんの遺言により名づけられたもので、笠置シヅ子さんはシングルマザーとして楽屋にエイ子さんを寝かせ、幕間にミルクを与えながら一生懸命子育てをされていたそうです。
1947年6月1日生まれのエイ子さんは、ご存命であれば今年75歳。
芸能界との関りなどはなく一般の方なので、これ以上の情報は無いようです。
ブギウギの脚本家、代表作や経歴は?
『ブギウギ』の脚本は足立紳さん。
1972年生まれで鳥取県出身の足立さんは、脚本家・映画監督として活動されており、日本映画学校を卒業後、相米慎二氏に師事しています。助監督、演劇活動などをへてシナリオを書き始め、2015年、第39回日本アカデミー賞 最優秀脚本賞を受賞されました。
以降も数々の受賞歴と担当作品があり、代表作として「喜劇愛妻物語」「百円の恋」などがあります。
年 | 賞タイトル | 作品タイトル |
2012 | 周南「絆」映画祭、第一回松田優作賞 | 百円の恋 |
2013 | 第38回創作テレビドラマ大賞 | 佐知とマユ |
2015 | 第17回菊島隆三賞 | 百円の恋 |
2015 | 第37回ヨコハマ映画祭脚本賞 | 百円の恋、お盆の弟 |
2015 | 第39回日本アカデミー賞 最優秀脚本賞 | 百円の恋 |
2016 | 第4回市川森一脚本賞 | 佐知とマユ |
2019 | 第32回東京国際映画祭 コンペティション部門 最優秀脚本賞 | 喜劇愛妻物語 |
2020 | 第42回ヨコハマ映画祭 脚本賞 | 喜劇 愛妻物語、劇場版 アンダードッグ 前編 後編 |
小説家としても活動されている足立紳さん。
2022年1月に出版された『したいとか、したくないとかの話じゃない』では、セックスレスをきっかけに、夫婦の、そして子育てのあり方を問う家族小説を描いています。
家事育児に追われ、なにかと我慢をしてきた主人公の恭子が、シナリオコンクールへの入賞を機に外の世界に飛び出していく姿が描かれる本作。ご自身の結婚生活を通して女性が色んな我慢をしている事を知ったといい、そのような女性を題材に描いているそうです。
これまでも夫婦関係や女性を題材にした作品を描いてきた足立紳さんが、『ブギウギ』でどのような物語を書き上げられるのか気になりますね。
まとめ
今日は2023年に放送となる連続テレビ小説『ブギウギ』のモデルとなった笠置シヅ子さんや、脚本家の足立紳さんについて調べていきました!
今期の「舞い上がれ!」も放送を開始したばかりで楽しみに視聴している方も多い中、ヒロイン役が決定するなどすでに話題となっている「ブギウギ」。
今後の情報にも注目していきたいと思います!
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